2007年12月17日月曜日

はじまり:オバーチャンの見た景色を見に、讃岐へ行く。

相変わらず=肩が痛く、
昨日はウォーキングすると書いたが、それもせず。
仕事の閑ぶりも変わらず、気持ちもゆるいまま。

先週企画した「讃岐への旅」
讃岐うどんを食い倒す!目的もさることながら

明治23年生まれ、既に亡くなった父方の祖母の里を見ることが、
僕にはとても大きな目的である。
オバーチャンの一人息子=僕の父の死後、オバーチャンの実家とは音信不通。
母が亡くなった時、古い年賀状も処分した。
もともと、僕が聞いている話では

オバーチャンは18歳のとき、キリスト教に「かぶれて」勘当され
神戸の宣教師のところへ家出したと聞いている。
そんな事情もあり、親戚付き合いは「疎」であったようだ。

僕が物心つくかつかないころ、
オバーチャンの弟(多分)で、「かんやん」とオバーチャンが呼んでいた人が
訪ねてきたことがあった、それが讃岐にまつわる記憶のほぼすべて。
その当時は、オバーチャンの出身は「四国」だと思っており、

「讃岐」が何を意味するのかも知らなかった。
オバーチャンの家の周りに、柚子がたくさんなっており、
それを絞って「酢」にしていたと聞いた記憶はある。
ポン酢など知らなかった子供のころの話だ。
海も山も近かったと、聞いていた。


子供のころはオバーチャンっ子だった僕だが
中学生ごろは、いつも痛いところを突いて「叱られた」ので
むしろ大嫌いだった。
もう少し大人になって、オバーチャンの若いころの冒険談や
終戦後、占領米軍(1945年以降)で働いていた仕事を通じて、
(多分)その当時アメリカに渡ろうと、
入手したのであろう=太平洋航路の古いパンフレットを見つけ
気持ち的には、ずいぶん近しい感じがしたものだった。
僕が18歳で、進学でも就職でもなく
米軍払い下げの大きなザックに荷物を積め
東京に向かう後姿を見て、
オバーチャンは心の中で「よくやる」と誉めてくれたと、後に聞いた。
その話を聞いてから、僕はオバーチャンのファンになった。

食の好みは、両親よりもはるかにオバーチャンに近い。
希望も含めて、僕のDNAはオバーチャン直系であるとその頃から思っている。


さて、手がかりは、古い戸籍謄本
読みづらい手書きのそれを読む作業からはじめる。

大体こんなところか?という住所をググルと
合併による住所変更前の町名から、現在の町名などはわかる。

現在の所轄自治体役場に電話で、問い合わせるが
モロモロ、個人情報の関係などで要領を得ない。
オバーチャンの生家近くだと見込んだ温泉に電話で尋ねてみると
10分ほど時間をもらえたら、住宅地図で調べてみるとのご好意。
戸籍にあった地番は、今はもうないようだが
近い地番に、オバーチャンの旧姓と同じ名の家が!
さらに、すぐ近くの古いお寺を紹介していただく。
無礼は承知で、お寺に電話。
やはり個人情報の関係で、「その家」の電話番号はうかがえなかったが

ご住職と思しき=電話の向こうの方は、オバーチャンの弟の名前をご存知だった。
そして、お寺の隣の家には、
その御子孫が、現在も住んでいらっしゃるという話。
ほぼ間違いあるまい。
グーグルの地図&航空写真を見ると

国道こそ通っているが、温泉の人の言ったとおり周りは山の中。
オバーチャンが子供のころ見た景色を、当時に近い姿で見られるかもしれない。

歳のせいか?、誕生日を過ぎたせいか?
ルーツ探しの気分が高まっている。
オバーチャンの「見た景色」の場所に立って、

感じられるものがあったら、嬉しい。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

すごくドラマチックで、ファンタスティックで。
今後の展開がとても気になります。
続報、待っています。