2007年12月20日木曜日

オバーチャンの見た景色

四国、讃岐にて
神戸から、淡路島にかかる橋、
瀬戸内海を渡る橋からの光景は圧巻だった。
その橋は、海にかかる橋と言うよりは
海面からの高さから、ほとんど空に伸びる「道」である。

四国の山々は、山肌の起伏がやわらかく、日差しも和わらかに感じる。
途中、阪神高速神戸市内の渋滞があったが、
2時過ぎには、無事ほぼ目的地に到着。
まずは、白鳥温泉、
美味いとネットに書き込みのあった、そこの食堂で饂飩をいただく。
確かに、正統派のシンプルなかけ饂飩、美味いが鮮烈な印象はない。

その後、「三宝寺↑」へ
その隣に、オバーチャンの実家だと推定される=「M家」があるはず。
そしてオバーチャンの兄の曾孫のお嫁さん(80歳に近い)がそこにはいらっしゃるはず。

三宝寺の境内、女房がうちの庭にある樹と種類が似ている樹ばかり、、、と言う。
オバーチャンは、モロモロ仕切っていたので、
多分、植栽の指示はオバーチャンがし、父=オバーチャンの長男が実行したのであろう。

三宝寺は、この菩提樹で有名らしい、、、この樹はオバーチャンがここにいたころからあったハズ。
三宝寺を散策した後、東隣のM家を訪ねると
その方はいた。
お話を色々おうかがいすると
どうやら、世代が、2世代速く進んでいる。
もしかしたら、「かんやん」こと官五郎氏とオバーチャンの関係を
僕か、曾孫のお嫁さんが誤解している。
23年の大水で、古い柚子の樹などほとんどが流されたとのお話。
その樹が残っていたら、
その樹こそ、オバーチャンが柚子を採った樹だったはずなのに!
残念である。
今、住んでいらっしゃる建物が、50年前のものであると聞いた。
もしかしたら、23年の大水というので古い建物が流されたのか?
そもそも、僕もうろ覚えの「23年」だが、
それは昭和23年をを指すのか?
ヒサ=オバーチャンが袴をはいた人と、訪れたような気がする「松太郎氏の奥様の記憶」は、
その大水の後、2~3年以内だとすると、
僕のオバーチャンはオジイチャンと一緒に
大水の見舞いに訪れたのか?
オジイチャンが、
その時代としても「目立つ」=はかま姿で現れたことは想像可能だ。
袴または、かなり洒落者の洋装のスーツ姿の写真は何枚も残っているし
そういう人だったようだ。

今日お会いした=松太郎氏の奥様は、嫁いで60年とおっしゃっていた。
年代的にも、ぎりぎり辻褄は合う。
ちなみに僕のオジイチャンは、昭和30年に亡くなっている。
今日=一日目は、
20分ほど松岡家の周りを歩いただけだが
明日は、もう少し広くご近所を歩いてみようと思っている。
裏山=松岡家の山には、夜はイノシシ、昼は猿がいて、
果物や作物を食べて行くと言う。
疑問を解くために翌日再訪し、もう少しお話をうかがう。
奥様の誤解というか、言葉の間違いを発見。
「23年」の大水は、台風23号のことだった=平成の話。
古い柚子の樹が流されたのは事実だが、
古い家が流されたのは僕の考えすぎ。
わらぶき屋根の古い家は、50年目に建て直したとのこと。
そして、「過去帳」を見せていただく。
ご先祖の関係と、ご先祖のなくなった年・年齢がわかる。
メモをし、写真にも撮らせていただいた。
先ほど、年表にまとめてみると「勘違い」をいくつか発見。
まず「かんやん」は、
祖母の弟ではなく、14歳ほども年上の兄。
多分、オバーチャンが幼いころ、可愛がってもらったずいぶん年上の兄だったのだろう。
そして、祖母の母は祖母が2歳のときなくなっていた。
つまり祖母は、母をほとんど知らずに育ったのだった。
過去帳を見て解かったことがもうひとつ、
現在家を守っている=松太郎氏の奥様、その松太郎氏と、
「かんやん」こと官五郎の関係を曾孫とおっしゃっていたが、
孫だった。
「かんやん」が、祖母より14歳も年上であれば
僕が、祖母から数えて3代目。
本家の僕と同い年の御当主が曾孫だとしても、
それほど不思議ではない。

↑写真を撮っている僕=女房撮影。
「オバーチャンの見た景色」は、さすがに残っていない感じがした。
オバーチャンがここで育ったのは、もう100年前の話である。
僕の感性もついてこない。
もし仕事だったら、「それらしい写真」を撮るのだろうが、今回はしない。


オテンバだったと聞いているオバーチャンは、きっとこんな川にも入ったのだろう。
下の家は、関係のないご近所。
光と、寂れ方が印象に残ったので撮った。

さて、センチメンタルなオバーチャン探しの旅も、二日目の昼で終了。
もうひとつの目的「讃岐饂飩を食い倒す」に、出かけるはずだったが
気分が乗らない、とりあえず高松に出
栗林公園なる名所旧跡に行ってみる。




さすがに見事なお庭だったが、
既に何食も「饂飩」を食べたせいか、
その後、いわゆる有名店を探す元気もなく
オバーチャンの実家に一番近い温泉が
ちょっと「引いてしまう」風情だったので、
もう一晩、讃岐で泊まるという初めの意思もくじけてしまう。
夕方5時前、「もう帰ろうか?」と僕から言い出し
一路、車を走らせたのだった。
饂飩話は、また次の機会にでも。

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