2009年7月30日木曜日

夢レコ:田中角栄がやってきた。

前段があるが、記憶があいまい。
僕が18歳まで育った家で、スキー道具(足元の合成用)の撮影を何人かの後輩カメラマンとしていた。
W君がセカンドのような形でその撮影に加わっていた。
すごく小さくしか使わないカットを若くてまじめな一人のカメラマンが、
4x5のカメラで撮ろうとし始めるのを僕が見つけ
そんな小さなカットは、35mmデジタルで十分と言った。
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海辺で、大きな波が次々に目の前を横切っていく。
ボートや、木切れに乗った人々が
目の前の海を流れていく、大きな波が覆いかぶさり
彼らを飲み込み、流しさっていく。
(遠近感が不思議な海辺と波の光景、波は左から右に、こちらに向かってくるわけではない)
そのうち「波がやってくるぞ」という声、
すぐにビル数階分もありそうな波が
真っ黒な影が覆いかぶさるように、打ち寄せるのだが
波ののまれながらも、僕は浜のような岸辺に残され無事。
ここまでが前段

女房の実家らしき、古い大きな家。
女房と一緒に、昼過ぎまで寝坊した日
慌しく花屋が花を届けに来る、大きな仏壇が僕達が寝ている部屋の隣にあり
義母がそこに山ほどの花を供え、寝坊した僕達を起こす、、、叱られる。
どうやら、義父の退院祝いに花が届けられ
僕の友人が兄弟で訪れているらしい。
その兄弟の兄は見覚えはあるが、名前は出てこない。
細身の黒い上下に、ドット柄のネクタイをしめているが、妙に軽い印象。
仏壇に手を合わせ、義父にお見舞いの挨拶をしている。
彼らの片方は空港で、外国の高級時計を売る商売をしているとのこと。
(この兄弟の兄、雛形はだいたい誰だか、見当がつくが名前は忘れた)
また「客が来た」と呼ばれると、隣の部屋で田中角栄が部屋の片隅から順番に
カメラやレンズを並べている、黒い紋付きを着た、
角栄と似合う年格好の女性に 挨拶されるがどなたなのかはわからない。
並べているのは彼のコレクションのようだが
1970年代のキャノン、ヤシカコンタックス、ハッセルが多数、リンホフテヒニカが一台、
キャノンの縦型ハーフサイズカメラ(手に取って見ると綺麗な半艶消し黒塗りでハーフにしては大柄)、
すべてが新品のようにキレイで、リンホフ以外はすべて黒塗り。
角栄は義父の古い知り合いらしく、僕もそれを承知しており、前にも会ったことがあるようだった。
(事実ではない)
角栄は「かくしゃく」としてカメラやレンズや元箱を並べ始めていた。
僕がコンタックスを指し「このカメラは僕も昔使っていましたが処分しました」
「これだけのカメラを残していらっしゃるのは、さすが総理の器」など意味不明のことを言う。
角栄は、「この部屋いっぱいに並べたら14mmで撮れるか?」と僕に訊ねる。
彼はどうやら彼のコレクションを、僕に撮らせる心積もりらしい。
僕「元箱がかさばるので、本体だけにして、別の部屋に並べて撮りましょう」と確信がないのに言った。
若い女の子が、手伝いのつもりでカメラを別の部屋に運ぼうおとすると、
角栄は勝手に運ぶなとでも言いたげに、すこし怒り、
僕は、元箱だけを別の部屋のさらに裏の部屋に片付けるように指示する。
角栄は急に涙目になり、、、古いモノクロ写真を懐から出して
僕に「絶縁用の井戸はここにあるか?」と訊ねる。
絶縁用の井戸?と僕には意味不明だったが、
写真には若い角栄と女性が、田舎の古い井戸から上半身を出して写っていた。
(そんなことは実際出来ないと思う)
この井戸を探しているのだろうと思って、義父に聞こうとすると、
義父と義母は鰻を食べに「源六」か別の店かに行ったと、手伝いの若い女の子が言う。
「源六」に電話(黒電話)すると、義父はその井戸なら
「ここではない昔の実家ではないか?」と答える。
夢の記憶はそこまで、、、
実は一昨日、義父は退院したばかりだ、、、これは事実。
源六というのは、僕の母方の祖母か祖父の実家の屋号。
田中角栄がいつ他界されたのか記憶は定かではないが
全体の風景は、80年代初めの雰囲気だった。
舞台になっていた家に実在の記憶はないが、80年代でも既に古い家だった。
僕だけは、それなりに歳をとっていたように思う。

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