2012年12月15日土曜日

師走の街:ウィンドウ

喉に刺さった魚の小骨状態だった某問題を話しあう為と
急ぎの納品を兼ねて都心部に出かけた。
話し合いのほうはまるで何も無かったことのように
和気あいあいに終わり、それはそれでメデタシメデタシ。
ランチは某広告代理店女子を誘って
大好きな大和屋で漬物三昧の定食を食べた。
2時間も話し込んでしまった「和気あいあいの話し合い」で
すっかり夕方の風情になった帰りの街でスナップ。
被写体は既にそれで完成されているウィンドウディスプレイや
店の外壁デザインだったりで
自分がそういうものによく反応して撮影するすることを再認識。
つまり、クリエイティブと言うよりは再生産的な写真行為だと認識。
悪く言えば、他人の制作物を複製したり、パクリだったりするわけだが
本来「いけない行為」だったそういう手法を、強引にヨシとしたのが
70年代の森山大道だった。
つまりたとえば新聞写真を見て、それに反応してそれを(複写)撮影すれば
反応した自分の表現になるというような論理だ。




これら↑の写真は、処理としてはX3Fフィルライトをプラス側に振り
彩度・コントラスト共に高め
ホワイトバランスは電灯に照らされた被写体の部分をグレーで拾ったので
夕方の天空光に照らされた外側はトワイライトっぽい青味が強くなった(した)。
仕上げとしては、アリガチなちょっとあざといアプローチだと自分では思う。
**********************以下蛇足
昨日の夜、S君が不意に訪ねてきた。
1~2ヶ月前、同窓会名簿でボクを見つけ
その前後、何通うかのメールをやり取りしたので
久しぶりだとは思わなかったが
思い返すと、会うのは10数年ぶり。
不思議に感じたのは、長く会っていないにもかかわらず
彼の友人関係とボクの友人関係で重なっている人が二人居て
その二人とは、おたがい何度も会っていることだった。
彼は日本でも有数の不妊治療専門のクリニックで事務長をやっていて
昔からそうだったけど、成功者の側を上手く泳いでいる印象。
(悪い意味ではなく、羨ましさを込めてそう感じた)
昨夜、久しぶりに杉本と昔の話をしたせいか
誕生日が近いせいか
昔の自分の姿を今朝起きがけに
「夢かうつつか?」という状態で視た。
高校時代に自信もなく、努力もせず
瑞光館(卒業した高校の体育館)の南側の渡り廊下で
世間には背を向けて佇んでいたり
東京にいた時代、写真の世界に入る取っ掛かりを得れれずに
それに向かって努力している訳でもない暗い若者の姿だったり
還暦の今も同じで
常に自信がなく、いつも成功の側に身を投げることが出来ない
ネガティブでパッシブな若者の姿が
確かにそうだった、今も同じだと
妙に納得できる姿だった。
************************
高校の先輩に当たる杉原千畝の足跡を追った写真集を
昨日プレゼントしてくれた小学校以来の友人で
現在その高校で教員をしているYちゃんも
期日前投票で僕が投票した党に投票したと聞いて、
とても嬉しく思った、、、僕は決して政治的な人間ではないけれど。

0 件のコメント: